斎宮、外宮、内宮のお伊勢参りを。地域共創で目指す持続可能な観光地域づくり。
お伊勢さんの入り口、明和町。明和町は、かつて、天皇の代わりに伊勢神宮の天照大御神に仕えた皇族の皇女「斎王」が暮らしたみやこ「斎宮」が史跡として眠るまちです。
隣の伊勢市の観光入り込み客数は、約660万人(令和元年)。一方、明和町は約28万人(令和元年)です。伊勢神宮とゆかりのある「斎宮」という観光資源を抱え、伊勢に行くまでの幹線道路や鉄道も通っていながら、充分に集客ができておりません。
さらに、多くの地方自治体にある課題を明和町も同様に抱えており、とくに古民家や住宅の空き家化、伝統工芸品の継承、国指定史跡斎宮跡の保全の費用は大きな課題で、それらを観光によって解決することは、今すぐに取り組むべきことと考えています。
けれども、実は、人口減少には至っていない明和町。子育て世代による新たなコミュニティや、若い世代による地域活性化への意力、歴史的な観光資源の数々は明和町の強みといえます。このストーリーでは、私たち明和観光商社が、明和町が観光客からも地域住民からも愛され続ける町となるよう、持続可能な観光地域づくりを行い、明和町の観光産業の活性化を目指す取り組みを紹介します。
農産物や遺跡など観光資源が豊富な明和町
三重県明和町は、伊勢神宮のある伊勢市と松阪牛で有名な松阪市との間にある人口約2万2千人のまちです。伊勢平野に位置し、大台ヶ原からの潤沢な水資源による米づくりが盛んで、伊勢湾では、青柳貝などの海鮮が獲れ、海苔の養殖を行なっています。また、伊勢ひじきの加工も盛んです。そして、実は、松阪牛も明和町は松阪市より飼育しているのです。
町内の東西には伊勢街道が通ります。中央には、国内でも最大級、137ヘクタールの国指定史跡斎宮跡があり、かつては、伊勢神宮で使用する織物や土器などをつくっているなど、古くから、伊勢神宮に寄り添った地域でした。
斎宮は、飛鳥時代から南北朝時代までの約660年間、都から、天皇の代わりに伊勢神宮の天照大御神に仕えるために伊勢に来た皇室の皇女、斎王が住まう場所でした。当時は、都のように方格地割によって整備され、最大で500人以上の人々が斎王のお世話のために働きました。斎王制度の衰退により、斎宮は遺跡としてこの地にねむることになりましたが、昭和48年に、遺跡の発掘がスタートし、新たな斎宮のストーリーが始まりました。
発掘が進むと、斎王を思い偲ぶ地元有志らによる斎王まつりが開催されるようになりました。斎王が京都から鈴鹿峠越えて群行する様子を再現し、今では、明和町で一番のイベントとなっています。
広すぎるがゆえにまだまだ発掘が終わらない斎宮跡ですが、整備も進み、当時の建築を復元した「さいくう平安の杜」などが建てられ、平成27年には、日本遺産に登録されました。
コロナ禍でも明和町を活性化させようとしてきた一般社団法人明和観光商社
斎宮・明和町の活性化の流れをより加速するべく発足したのが観光庁により指定された観光地域づくり法人、一般社団法人明和観光商社です。町外からの若手を含むメンバーで構成された明和観光商社ですが、設立後すぐ、一年で新型コロナウイルス感染症が流行し、観光客誘致だけでなく、地元住民とのコミュニケーションもとりにくい状況が続きました。その中でも、コロナ禍に適したイベントの実施や、地域資源を活用した観光商品の開発、伊勢街道の古民家改修などをおこなってきました。
観光による地域の課題解決・明和観光商社スタッフと氏子の共創による神社の持続可能な経営
そんなコロナ禍で取り組んできたプロジェクトの一つに、観光による神社の活性化プロジェクトがあります。明和町が抱える課題の一つに、地域で暮らす上で欠かせない地域コミュニティである自治会運営の低迷があります。もちろん、その地域コミュニティによって成り立つ神社の運営も合わせて難しくなってきています。
斎宮の伊勢街道沿いにある竹神社もそんな神社の一つでした。ただ、国史跡斎宮跡にあり、駅からのアクセスの良さ、斎王ゆかりの地に造営されている点など、磨き上げれば大きな観光資源となりうるポテンシャルを持った神社だったのです。
令和2年から、竹神社の社務所を試験的にあけて、御朱印の頒布などを行う取り組みが始まりました。その中で、竹神社のサポートとして関わったのが明和観光商社です。私たちは、SNSを用いた情報発信や、集客のための企画を行い、竹神社の氏子総代だけでは難しい部分を担いました。
その結果、氏子が毎週入れ替える地域のお花を使った花手水や、参拝のきっかけになればと企画した、満月の日のお参り「満月参り」、多様な御朱印が多くの人を惹きつけ、今では、毎週末多くの方がお参りに訪れる神社となりました。
コロナ禍を経て今まで以上の盛り上がりを見せる明和町
コロナ禍においても、竹神社の取り組みや、斎宮の復元建物「さいくう平安の杜」を活用したプロジェクションマッピング、そのほかたくさんの取り組みを行なってきました。その結果、「明和町はすごいね」と多方から言ってもらえるようになりました。
そして、コロナ禍で実施できなかった斎王まつりやマルシェの再開など、明和町は今まで以上に盛り上がりを見せています。
令和4年6月に行われた斎王まつりは、第40回記念での開催となり、25,000人が訪れ、過去最高の大盛況となりました。
また、明和町の港町、大淀で令和4年7月に行われた大淀祇園祭も、4年ぶりの開催となり、さらに270周年を迎える記念すべき年になり、3つの山車が集う「三車揃い踏み」など、大変賑やかな盛り上がりを見せました。
コロナ禍経て、今年は地域の力を感じられる年となりました。
地域内共創で明和町を観光客・地域住民に愛される場所に
その盛り上がりの背景には、明和観光商社のさまざまな取り組みのほかに、明和町の若手世代の意欲的な活動、竹神社のようなお互いの強みを活かし合う世代間連携があります。
その連携を高める場として、明和観光商社は「めいわ観光まちづくり研究会」を立ち上げました。
めいわ観光まちづくり研究会は、町内事業者及び地域住民が主体となって、明和町の観光まちづくりを進めていくための「学び」と「実践」の場です。メンバーは、学生から自治会長、子育て世代など、多様な面々となっています。メンバーはまず、観光によって地域の持続性を高める「持続可能な観光地域づくり」を学びます。そして、各自で持続可能な観光地域づくりに寄与するプロジェクトを立ち上げます。
子育てしながらも明和町が訪れやすく、暮らしやすい町であるためのイベントの企画や、源氏物語にも登場する「竹川の花園」の再生プロジェクト、地域の子供達に竹神社に親しみを持ってもらうため鎮守の森で遊ぶ企画や、健康寿命向上のための健康サロンなど、それぞれの強みを活かしながら、明和町の魅力を向上する活動を行います。
お伊勢参りで賑わったかつての伊勢街道へ。斎宮、外宮、内宮でお参りを。
今後はこの勢いを高め、観光でたくさんの人に訪れてもらうために、伊勢街道沿いのエリア開発に力を入れていきます。かつては、お伊勢参りの参拝客で賑わった伊勢街道ですが、現在は空き家が多く地域の課題となっています。伊勢街道沿いの自治会長や観光関連団体で行う「伊勢街道のにぎわいづくり検討会 」では、空き家の課題を整理し、どのエリアでは、どんなビジョンを描けるかを検討中です。
10年後の明和町は?
竹神社も、伊勢神宮と同様、20年に一度の遷座祭を行います。
10年後の明和町は、竹神社の遷座祭が無事執り行われ、参拝客や斎宮への観光客で伊勢街道が賑わっている。地域に続くまつりは世代を繋ぎ継続し、お伊勢参りに向かう人が最後に休むまちとして、古民家を活用した宿や茶屋、土産屋が軒を連ね、活力ある住民たちが迎入れる。
そんな未来を描いています。
多くの地方自治に関する課題を抱えておりながら、実は、人口減少はしておらず、若い世代の活力がある明和町。私たちは、この強みを活かし、地域内共創を活発化させ、そしてそれを地域外に広く伝えていくことで、明和町が、将来にわたって観光客・地域住民に愛される地域になることを目指し、活動していきます。
明和町おすすめスポット・体験・ショッピング
○竹神社
伊勢街道に面する神社。長白羽神を主祭神とし、地域の神様をお祭りしています。満月の日のお参り「満月参り」で頒布する満月参り限定御朱印が人気です。毎週変わる花手水で癒されてお参りを。
社務所開所
毎週土日 10時〜15時
満月の日 10時〜19時
令和6年の満月参り
1月26日(金) / 2月24日(土) / 3月25日(月)/4月24日(水)/ 5月23日(木) / 6月22日(土)/7月21日(日) / 8月20日(火) / 9月18日(水)/10月17日(木)/ 11月16日(土) / 12月15日(日)
○斎宮歴史博物館
天皇の名代として伊勢神宮に仕えた皇女・斎王と、その宮殿である斎宮の歴史や斎宮跡の発掘成果を展示している博物館。常設展は斎宮の歴史や文学作品の展示を、さらに特別展示室では時期ごとに斎宮にかかわる様々な展示を行っているため、ひとつのテーマを深く学ぶことができ、見応え抜群です。
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/
○自転車でゆくお伊勢参り サイクリングツアー
電車や車で伊勢神宮へ行くと気づかない古き良き伊勢の風習や街並み、お伊勢参りの魅力に出会えるツアーです。電車や車で伊勢神宮へ行くと気づかない古き良き伊勢の風習や街並み、お伊勢参りの魅力に出会えるツアーです。
○斎宮の小さな商店街みのりや
竹神社前の古民家。土日は伊勢茶と甘味を提供する「喫茶みのりや」平日は自家製食パンを味わえる「橙(だいだい)」が営業。明和町のお土産も。